何のための葬式、誰のためのお墓なのか
〔記事投稿日時:2015-09-11 15:27:32〕
昨今、高齢化社会ということもあって、葬儀への関心が高まっていますね。その中で、「終活」や「生前墓」、独創的な葬式など、これまでに無かったモノがたくさん登場しました。しかし、一方で、自然葬や合同墓など、シンプルでこだわらないお葬式を求めている人も増えています。お葬式がバラエティに富むほど、お葬式をシンプルにしたいという人の声が大きくなる、この現象は、一体何を表しているのでしょうか。
それを考えるにあたっては、葬儀のルーツを見直さなければなりません。まずはお墓のルーツを見直しましょう。そもそも、現在のようなお墓文化が生まれたのは、明治時代になってからだと言われています。つまり、100年前ぐらいまでは、現代にすっかり定着したお墓の文化なんていうのはなかったのです。日本のお墓の文化は歴史が長いようで、実は浅いんですね。
仏教的には、自然葬(散骨)で全く問題ないということです。というより、本来の仏教では、自然葬が基本だったそうです。それに加えて、戒名なども付ける必要はなかったのだとか。亡くなったら、お葬式をして火葬して、肉体を自然に還すだけ。お祈りは思い出した時に、手を合わせてすればいい。葬儀って元々は、とてもシンプルなものだったんですね。
でも、そこにはシンプルながらも、葬儀で大切なことが詰まっていました。つまり、葬儀では、宗教的儀式として故人を送り出すこと、故人との別れを惜しむ機会があること、そして時々故人をいたんで祈りを捧げること、この3つがあることが重要だったのです。逆に、これさえ抑えておけば、葬儀に他のものは必要なかったんですね。
しかし、時代を経て、葬儀は意味合いよりも形を求めるようになっていきました。葬式は宗教的な意味を既に失い、故人を悼む行為をする場所としてお墓が建てられました。葬儀というものをシステマティックにすることは否定しませんが、それによって、葬儀が形骸化してしまったことは否めないでしょう。
そればかりか、終活や生前墓、独創的な葬式など、自分のことばかりしか考えていない葬儀が増えてしまいました。本当に大切なのは、宗教的に故人を送ることと、残された人が故人を悼むことだったはずです。本質を失ってしまった葬儀に、もはや意味などないでしょう。だから昨今は、葬儀に違和感を覚え、シンプルな葬儀を求める人が増えてきているのです。本能的に、ヒトは葬儀の本質を求めているのではないでしょうか。
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